色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹 ②

村上春樹さんが苦手だった時代を思い出してみると…

 

最初に村上春樹さんの作品を読んだのは、多分ノルウェイの森だったと思うのですが、直子さんについては心が病んでしまう過程が全然理解できず(当時山田詠美さんにはまっていたので、僕は勉強ができないの虚無の話と同じ、贅沢病みたいなイメージでみてしまったような)、みどりさんは性的にあまりにも率直すぎてひぇーと思ってしまい(その当時は自分も若かったので、恥じらいがあったのかな…?)どっちのヒロインにも共感できなかったのと、どうもセリフ回しも不自然に感じて、なんかなーーという印象でした。文句言いつつ最後まで読んだけど、全然救いがない感じに受け取ってしまいました。雑誌か何かでノルウェイの森の冒頭を揶揄するような文章を読んだりして(主人公をのせたボーイング747ハンブルグに着陸するって、そんな人生送ってるやつがどれほどいるんじゃい、みたいな)、笑っちゃったり。大体批判的な方は、わざとらしすぎるとか、気取ってて嫌だみたいな感じが多いのかな、と思うのですが、私もまさにそんな感じの印象でした。一言でいうと、金持ちが暇にかまけてなんかうじうじしてるみたいな(酷い(笑)!!)。

それでも懲りずに、当時仲良くしていた友達の勧めもあって、ねじまき鳥を読んだのですが、先が気になって読み進めて、読んでいる間はすごいはまっていたと思うのですが、ラストがどうも納得いかず(今となっては何が納得いかなかったのか思い出せませんが)、せっかくここまで読んだのに!と怒りしかない感じでした。綿矢のぼるさんの展開する理論の方が自分の周りにありふれている考え方に近かった(今思うと、それはすごい怖いことだったと思うのですが)ので、主人公の思考回路、心情というのがいまいちわからなかったんだと思います。

それからしばらく村上春樹さんは読まなかったし、読んでる人はキモイ人だというレッテル貼りまでして、本当に今思うと最低なのですが、その当時は他のいろいろなことにも狭い正義感や美意識を振りかざして、あいつ(あれ)嫌い!みたいなことばっかりやっていたような…若かったんだと思います。ちなみに大学のとき嫌だったのは、他に太宰治辻仁成さんです。(どっちも今も苦手だけど、辻さんはTwitterリツイートで時々目に入ってきて、料理好きなところとか、お父さんなところとかはいいな、と思い、気になる存在ではあります)

とどめは社会人になってから、大学で働いていた時に、仲良くなって英語を教えてもらっていたネパール人の学生さん(日本語も上手で優秀な方だったと思います)に、なぜか「国境の南、太陽の西」をすすめられ(それでも一応読んじゃうところが私のよくわからんとこですが)、これは結婚前の乙女ちゃんな私には到底受け入れられない内容で(男性に都合よすぎ!性的な部分を詳細に書きすぎ!って思った)、もう絶対読まんぞ!というくらいの状態になってしまった。ちなみにその子ともちょっと気まずくなってしまい、私も結婚することになって忙しくなったこともあり、その後連絡とらなくなってしまった。。

 

夫が村上春樹さんを好きなのは結婚後に知ったのですが、彼がそれを読んでるのはすごく彼らしい気がしたので、びっくりはしなかった。とにかく夫は私の結婚前にこんな人がかっこいいと思っていた男性像とは全然違うタイプの人で、それでも彼と結婚したくなっちゃったことを神秘的とか思っていたくらいなので、私が苦手な作家さんを彼が好きなのは自然なように思った。それで、夫の蔵書の中からレキシントンの幽霊を暇つぶしに読んだりして(結構いいな、と思った)、リハビリはしていたと思いますが、そこに騎士団長殺しが発表され、春樹新作に小田原沸く!みたいな新聞の切り抜きを図書館で見かけて、ミーハーな私は話題の本には一応首突っ込んでしまうタイプなので、読んでみたら、あれ~面白かった!となったわけです。わかりやすいハッピーエンドだったからかもしれません。(それで、①の話に戻る)再度興味を持ってからは、夫が蔵書でたくさんもっていたので、それを読ませてもらえてとてもよかった。彼と作品について話し合えるようになったのも、うれしい副産物です。ただ、面白いと思うのは、彼は1Q84以降は興味を失ってしまっていて、風の歌を聴け、などの初期の作品が好きだそうです。今は夫はほとんど本を読んでないと思うので(特にフィクションは全く興味なさそう)、昔彼がそんなに本を読んでた時期があるのが不思議な気がするくらいですが…。

 

私の春樹さんへの想い(笑)を書いたのは、自分の頭を整理するためで、他の人が読んでもあまり面白くないと思いますが、他の人へ発信したいという意味では、昔の春樹さんが苦手な人も1Q84以降の作品をいっぺん読んでみて!ということと、インタビュー集の「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」は文学だけじゃなく、芸術に興味ある方は得るものがあるのでは!ということです。自分はこれを読んで、芸術(絵画や音楽なども)鑑賞しているときに起きていることが少し理解できたように思いました。作った人との、無意識のレベルでの交信というか…。この本に「無意識の世界に降りていく」やり方指南みたいな印象を持ったのです。

 

多崎つくるの話に戻って、今の自分が村上作品のどんなところが好きかなということを考えてみると、①に書いた静かな生活に浸ることが第一として、他の細かいところでは、音楽や洋服について書かれていることが好きです(この作品ではリストの「ル・マル・デュ・ペイ」ラザール・ベルマン、アルフレート・ブレンデルクラウディオ・アラウの演奏。なんか日本的なタイトルの曲だと思った)。興味の発端になったり、おしゃれして出かけたくなったり。高級品や庶民には縁のないような敷居の高い場所が描かれていることも多いですが、今は自分も大人になったので、そんなに浮世離れしているような印象をもたないし、セリフが独特なのも、世界観を作る大事な部分かなと。学生時代やもっと若いころは人事的なことにもっと振り回されていましたが、今はあまりそういうこともないので、美しく文化的な会話というのにあこがれがあります。外国へのあこがれも満たしてくれます。自分なりに考えてみた結果としては、村上春樹さんの作品は自分の結構ナイーブな部分にふれるもので、若いころはそういう形で自分を見つめるのが怖かったんじゃないかと。今はもうおばちゃんと言っていい年代なので、変に感情的に揺さぶられたり、人からどう思われるかとかを気にせずに、また、自分に対して取りつくろわずに、自分の本性みたいなものを見つめる土台ができたのかなぁと思います。まだ読んでない作品もたくさんあるので(特に古い作品)、これから掘り下げていくのが楽しみです!