ばさらの群れ 童門冬二

畑正高さんの香三才を読んで、ばさら大名に興味を持ち、図書館で検索してみたところ、以前小林一茶の書籍を読んで面白かった童門冬二さんの小説?があったので、読んでみました。このストーリーの主な登場人物は足利尊氏、直義(ただよし)兄弟、その執事でばさらの高師直(こうのもろなお)、師義兄弟、そして佐々木道誉です。私は記憶力がいまいちで、もともと歴史全般苦手意識があり、さらに南北朝から応仁の乱に至るあたりはごちゃごちゃしていて一番よくわからない時代という感じでしたが、それでも楽しく読め、勉強にもなりました。京都の地理もよくわからないので、googlemapとにらめっこしながら読みましたが…。ドナルドキーンさんの著作で兼好法師のことも改めて知りたいと思っていたので、時代背景と合わせた徒然草解説という面もあった、かなり満足度が高かったです。

 

参考になった部分をメモします。

・主なばさら大名は高師直佐々木道誉土岐頼遠仁木義長

 

・京の都は平安京として造営されたときは、大内裏を中心に左京と右京があったが、右京は低湿地だったので次第に人が住まなくなり、中央を通っていた朱雀大路が西のはずれになった。(人々は東へ東へと移り住んだ)

 

足利尊氏はもともと高氏という名前(これは佐々木道誉の本名と同じ)だったが、北条氏にそむき京を制圧して隠岐島から脱出してきた後醍醐天皇を迎えたため、後醍醐天皇が自身の尊治という名前から一字を与えて尊氏とした。幕府軍としてやってきた尊氏を説得して北条氏討伐に踏み切らせたのが佐々木高氏(道誉)である。

 

・歌の世界は藤原俊成・定家の流れが主流で、為家の代になってその子供たちが三家にわかれた。為氏が二条家、為教が京極家、為相が冷泉家南朝が盛んなときは二条家が、北朝が盛んな時は京極家が歌界を征した。兼好ははじめ二条為世(為氏の子)に師事し、その後も一貫して二条家流の歌道にいそしむ。

 

佐々木道誉妙法院を焼き討ちしている(このとき火災は建仁寺も焼いた)。この物語では理由は妙法院の雪のかぶる松の枝を折ったのをとがめられたため、とされているが、ネットで調べると紅葉の枝としているサイトもある(こちらが史実?)。

 

南朝方の楠正儀が京にのぼり、佐々木道誉の邸宅にきたとき、邸内は整えられ、宴の用意があった(これはWikiにも同様の記述があるので史実かと)

 

物語の筋というより、歴史的な事実の部分でへぇ~と思うことが多くて、他にもいっぱいあった気がしますが、とりあえず今思いつくものだけ…。ドナルドキーンさんの著作でも、畑正高さんの著作でも、このあたりの混沌とした時代は後の東山文化(現在日本文化とされているものの基礎になった文化)を産む大切な過程という印象を受けたので、政治的にはごちゃごちゃしてわかりずらいですが、もうちょっと勉強したいなと。次は佐々木道誉さんについて書かれた本を読もうと思います。