色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹 ①

大人になってからの読書は、フィクションはどちらかというと苦手で、なんらかの知識や、知恵みたいなものを求めてしていることが多いのですが、村上春樹さんの書籍はよく理由は分かりませんが、引き込まれて一息に読んでしまうし、読了後はなんとなく心が鎮まる感じがするというか…。何か読書についても、他のいろいろなことについても、実用的な結果を求めすぎてちょっと疲れ気味かなぁというときに、集中できて焦点が定まる読書というような…。無意識の世界にアクセスしているといえばいいのかな(これはインタビュー集で村上さんが言ってたことの受け売りかもしれませんが)。

大学生の頃は、ノルウェイの森や、ねじまき鳥を読んで、これは無理だなぁ…という感じだったので、なんでそんなに自分の印象が変わったのかちょっと不思議な気もします。作品自体も本当の初期のものは読んだことないですが、ねじまき鳥などの時代と比べると、1Q84、騎士団長殺しあたりから、かなり変わったように感じるのですが。

アンチだった時代もあるので、ほかの人のレビューや考察サイトを読むと、賛否ともに楽しめるので、そこも結構楽しみだったりして…。

 

話の筋としては大学生だった多崎つくる君が突然仲良し五人組の他の4人から理由もわからず絶交を言い渡されて、死にそうなくらい悩みますが、結果的には立ち直り、社会人としてしばらく暮らしているんだけど、本当に好きになった彼女に過去の問題を清算した方が良い、と言われて、その4人に会いに行って、何があったのか知る、ということで。途中、ほかの友達が突然いなくなったり、とよくわからないことも起き、最後まで謎のことも多いのですが、私が読んだ村上作品の中ではおおむね綺麗に片付いている部類なのではと。過去になにがあったのか、という大きな謎があるので、それを知りたくて先を急いで読んでしまう感じで、さらっと2時間くらいで楽しく読めました。

 

この話のメッセージは表面的にはとても分かりやすいように思うのですが、本当にどういうことを言いたいか(今までの村上作品の文脈も踏まえて)、ということは自分には考察しきれなそうなので、この作品を読んだ機会に、自分がなぜ村上作品にひかれるようになったのか、大学生の頃感じていた嫌悪感はなんだったのかということを考えてみたいと思います。

2018年に、村上春樹熱が生まれたきっかけは、騎士団長殺しが地元を舞台にした作品だったために読んでみたくなったことでした。実際に読んでみて、私の持っている地元のイメージというか、空気感みたいなものがとてもリアルに再現されていると感じたし、主人公が送っている静かな日常(ある意味浮世離れした暮らしなのですが)に自分が入り込んだような感覚が気持ちよかったからかな。それから過去の話も色々読んでみたのですが、上述したような感覚が気持ちいいという意味では海辺のカフカが同じように感じました。それに加えて、話としても面白かったのは1Q84かな。とにかく、このあたりの作品は昔自分が読んだノルウェイの森などの作品群とはちょっと変わって、わかりやすいというか一般に受け入れられやすいようなメッセージを持っているように感じました。

もう一つの理由としては、騎士団長殺し、1Q84の読了後わりとすぐに読んだ「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」というインタビュー集で、村上さんがどんなふうに創作活動をしているか、ということが語られているのですが、それが自分にとってはじわじわくる感じで、文学だけでなく他の芸術作品を理解するためのヒントにもなるんじゃないかなぁという風に思ったからです。そこから、過去に自分がうぁ~と思ってしまった作品も再度読んでみることにしたのです。

 

つづく