浮世の画家 カズオ・イシグロ

事の発端は通訳者・通訳ガイドになるためには なるにはBOOKS10 という書籍を読んだことでした。通訳案内士の資格に興味を持って図書館から借りてきたので、前半の様々分野の通訳者の方の部分はさらっと流し読みしたのですが(完全に読了しなかったので、読書メーターにもあげていない)、その中でカズオ・イシグロさんの「日本語が」良いとしていた方がいたように思っていて、それがこの著者の本を読もうと思ったきっかけでした。いたように思った、というのは、この浮世の画家という本を読んで気が付いたのですが、この方は英語で文章を書かれているんですよね…。youtubeなどで、インタビューを見ても英語で話されているようですし、「英語が良い」とされていたのを私が記憶違いしているのかもしれませんが、すでに返却してしまって、手元にその書籍がないので、確認できない状況です。

カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞されたのは2017年のことで(これもあとでwikiを調べて確認した)、そのときはあまり詳細を知らなくてなぜ日本名なのにカタカナ表記なのかな、と思ったくらいだったのですが、ちょっと印象には残っていたので、今回機会を得て、読むことができてよかったです。

 

内容は引退した画家の独白で、語り手は素晴らしい邸宅をかつての持ち主の遺族から「人格的に優れている」理由で、破格の値段で手に入れる、という、とても興味深い人物です(このお話から物語が始まる)。解説にも書かれていたように、通常一人称の文章というのは、面白ければ面白いほど話し手の存在が、読み手の意識から消えてしまうというところがあって、基本的に読者は話し手のことを全面的に信頼して(ある意味で正義として)そこで語られる世界を見ることになると思うのですが、このお話では語られていることが事実なのか、それとも語り手の思い込みなのかはっきりしないし、しょっちゅう話が脱線して過去の記憶に戻ってしまうので、それが最初とても読みにくく感じました。でも、後半はこういう描かれ方ゆえにちっとも明らかにならない肝心なことが気になって、最後まで引き込まれて駆け足で読むことになり、結局、私がこの小説で一番おもしろいと思ったのはその描かれ方でした。現実の人間の世界の認識というのは、こういう不確定なものだと思うし、それをリアルに再現出来ていてすごい、と著者の別の作品も読んでみたくなりました。

 

逆に一番ピンとこなかったのは、絵画について語られているところで、主人公の師が収納庫で語った話や、視点のおきかたの話など、いくつか共感できる部分もあったのですが、主人公が良しとしている(社会的にも評価されたことになっている)メッセージ性の強い絵画というのがどうもイメージできなかったし(絵の中に字がかいてあるわけではないですよね…?)、あまり芸術的価値があるようにも思えなかったことです。どちらかといえば、モリさんの芸術論の方が日本的だし、共感できる感じでした。

それから、親子間、男女間、師弟間のやりとりがどうも私としてはあまりにも定型化されすぎていて、真実味がないような気がしてしまいました。日本人は礼儀正しい、というイメージがあるのかもしれませんが、師弟間とか友達の間でこんなにおべんちゃら言うかなぁ…?という気がしたし(むしろ真実賞賛する気持ちがあったら、面と向かってはそういうこと言えない方が日本人らしいような気がするんですが)、娘さんたちはお父さんにあまりにもよそよそしいというか、あたりが強いというか、寄り添う気持ちがないような気がしました。(日本人の、しかも一昔前の女性が父親にこんな言い方するかなぁ?もうちょっと寛大でもいいような気がしますけども…)でも、考えてみると、戦前、戦後の世の中というのは、ある意味で戦国時代や平安時代なんかよりも、もっと私たちの世代から見えにくい時代(闇歴史として後世の眼に触れないように葬られてしまった時代)なのかな、と思ったりもして、かつてこういう日本があったのかなぁとも思いました。

 

この浮世の画家、は日本でドラマ化もされているんですよね。ドラマというのは客観的な状況が映像で見れてしまうものだと思うので、この作品がどんなふうに表現されているのかとても興味がわきました。

 

今、同じ著者の短編集、夜想曲集を読んでいますが、こちらの方が自分の好みかも…。日本が舞台じゃない方が、違和感ないのかな。もうちょっといろんな作品を読んでみようと思っています。