縛られた巨人 南方熊楠の生涯 神坂次郎

横浜そごうの水木しげる展で、南方熊楠を主人公にした猫楠という漫画を立ち読みして、南方熊楠という人物に興味を持ちました。その後、小田原の市立図書館で猫楠を借りてきて読み、とても面白かったのですが、伝記としてははしょられているところも多くて、もっと細かく知りたくなり、こちらの書籍を読んでみました。

 

 恥ずかしながら南方熊楠という学者さんを全く知らなかったのですが、その類まれなる才能と、破天荒な人柄がとても魅力的で、学問的な業績に圧倒されるのはもちろん、終生公職につかず、貧乏に苦しみながらも自分の好きな学問に没頭した生き方にとても考えさせられるものがありました。

 

 もともと紀州の豪商の家に生まれ(鴻池家がこの家に金屏風を12枚借りに来て、そんなに枚数を持っていないと断られたので、ばかにしてる!と怒ったところ、この南方家の主人は、金屏風というのは紙に金箔が張られている一般的なものではなく、自分が二枚だけ持っていたすべて純金でできた屏風と勘違いしていたというエピソードには驚愕)、実父も理解があって海外に留学させてもらえたものの、米英に滞在中に弟に自分の財産(父の遺産)をとられて、仕送りをたたれてしまうので、とても気の毒ではあるのですが、ただただ学問に没頭し、家に一円も入れるわけでもない兄にあきれた家族の人々の気持ちもわからないでもないような…。ちなみに、この父の跡を継いだ弟の奥さんという人は華岡青洲の家のひとだそうで、その人がものすごく強かったというのも、華岡青洲の妻を読んでいたので、すごく納得…。

 自分的にうれしかったのは、幕臣航海誌で重要な役割を果たしていた、木村摂津守の子息という人が登場したことです。幕臣航海誌の木村さんは絵にかいたような有能な若者、という感じでしたが、ここに登場する三男さんは、貧乏な熊楠が虎の子をはたいてごちそうしてあげてしまうほど困窮してしょんぼりしているのがかわいらしい。

それ以外にも、孫文や徳川家の末裔、柳田国男などの有名人もたくさん登場して、興味のひろがりは尽きません。

 

 貧乏だっり、人種差別を受けたりしても海外の優秀な学者さんたちを論破するのが痛快な留学時代に比べ、日本に帰ってきてからは、つらいことが続く熊楠先生ですが、それでも、精神の自由を生涯貫いた方という印象を受け、天皇陛下に献上する粘菌をキャラメルの箱にいれて渡した(ふつうは桐箱とかですよね)というエピソードなど、おおらかな人柄を感じました。

 その後の南方家、で語られる娘さんのお話では、南方が築いた家庭がとてもあたたかいものだったんだな、と感じました。

 

南方先生の出世論文である東洋の星座や、十二支考を読んでみたくなりました。また、柳田国男は自分の中で無敵の民俗学者でしたが、性のタブーに踏み込めなかったことが真の理解を妨げているという熊楠先生の指摘にはとても共感でき、お役目に縛られないことにこだわった熊楠さんの学問に対する純粋な気持ちというのがとても理解できた気がします。

 

最後に著者と北杜夫さんが医学的な見地からこの人の人格を分析しているのも、自分が知りたいと思っていたことだったので(常人ばなれした才能がなにか特殊な脳の構造によるものなのか知りたかった)、とても興味深く読みました。この、熊楠先生の混沌とした書簡や日記などを根気よく読み解き、事実と本人の大言とを選別した著者の精神力、面白く読ませる筆力にも感服しました。この作家さんの他の著作も読んでみたい。