原三渓関連書籍~原三渓物語 新井恵美子、原三渓の美術(横浜美術館開館30周年記念展示図録)~

台風で昨日から閉じこもっていて暇なので、本を読んだりDVDを見たりしています。

 

三渓さんは、以前読んだ熊倉功夫先生の近代数寄者の茶の湯、で登場していたり、時々行く機会のある三渓園でなじみ深い方ですが、↑でも高橋掃庵さんや益田鈍翁さんに比べて年齢が若いせいか、そんなに重く取り上げられていなかったので、ほぼノーマークでした。また近々三渓園をゆっくり見学するチャンスがありそうなので、見どころを抑えたいなぁというくらいの軽い気持ちで新井恵美子さんの原三渓物語を読んでみたら、すごく読みやすくて面白くて、ほぼ一気読み。途中で気が付いたのですが、この新井さんという方は、以前読んでとても面白かった野崎幻庵さんの書籍「菜穂女につかわす」(この本、amazonで検索しても出てこないのですが、私は図書館で読みました。私費出版なんですかね?)の著者の方でした。この三渓物語で三渓さんや彼を取り巻くご家族、協力者の方々の人柄に圧倒され、感動した勢いで、今年の7月13日~9月1日まで横浜美術館で開催されていた「原三渓の美術 伝説の大コレクション」展の図録を読みました。物語、を読んでなかったら絶対そんな熱意はわかなかったと思うので、新井恵美子さんに本当に感謝。こちらの図録もものすごく勉強になって、正直この展示会見に行かなかったことが悔やまれますが、たまたま先日見に行った三井記念美術館の展示にあった刷毛目茶碗の千鳥がこちらの展示会のリストにも入っていたので、それだけでも良しとしようと…でも巡回展かもしくはもう一回横浜で展示会やってほしいです!!!

一応以下に、それぞれの書籍の感想を書いてみます。

 

◆原三渓物語 新井恵美子

三渓さんは養子だったというのはなんとなく聞いて知っていたのですが、もともと岐阜の人だというのは初めて知りました。青木さんという庄屋さんのご長男で、幼いころから優秀で実父の期待も大きかったのですが、学問への熱意が抑えきれず東京に出て跡見女学院の先生をしながら大学で勉強中に、その学校の生徒でもあった原家のお嬢様屋寿子さんと出会い、養子に入ることになったとのこと。ここで二人が新橋のステーションで出会うシーンとかがあるのですが、さすがにこれは創作なのかな?何か資料があるんでしょうかね。とにかくとても素敵な物語で、エピソード一つ一つがすごく納得というか、例えば、幼少期、三渓さんの母方の実家は画家の家柄でそのおうちに絵を習いに通っていたということなんですが(ここから三渓さんの美術、特に文人趣味の素養が出来たのかなとか思ったのですが)、その家の近くの日吉神社廃仏毀釈からなんとか土地の人が守り切った三重塔があり、これに三渓さんが憧れていて、のちに三渓園のシンボルとして三重の塔がたてられるきっかけになったとか、へー!へー!へー!!という感じでした。三渓さんの公に奉ずる気持ちがすごくて、自宅の庭を無償で一般公開したり、横浜や日本の発展のため、芸術の振興の為、とにかく様々な活動に真心をもって取り組んでいる姿に本当に感動しました。また、三渓さんをとりまく実父、義父、生涯三渓さんをささえた奥様などの人々も本当にすがすがしいというか気持ちの良い方ばかりで、養子の縁組に跡見学園の跡見花蹊が奔走したエピソードでは、長男を養子にするなんてもめそうなことなのに、両父ともに快くこの縁談に賛成したというところがすごいなぁと思いました。三渓さんの家庭や事業の経営もとても清潔というか、人間としての考え方の基礎がしっかりしている方だったんだなと。それには田舎で自ら泥だらけになって働くような若い頃の経験がいきているのかなぁと…このお話、朝ドラにどうですか!という感じでした。三渓さんは容姿も美しい方だったようなので…(^^♪他にも関東大震災のときのエピソードや鈍翁さんたちとの交流、またご長男が急死されてしまったときの茶会、日本の近代画家たちのパトロン時代、とすごいエピソード満載でとても書ききれないのですが、地元神奈川県の方でもあるので地理的にも身近なところが多くて

楽しんで読むことが出来(今村紫紅安田靫彦が家の近所に住んでいたことを初めて知りました)、またいろいろ行ってみたい場所が出来たり、美術や茶道の分野で興味の幅が広がったと思います。

 

◆原三渓の美術

こちらのは横浜美術館開館30周年記念の展示図録で、三渓さんが生涯にわたり収集された美術品や、自筆の絵画、茶道具などが記録されていて、構成もとてもわかりやすく、原三渓物語を読んでいるときにこれが手元にあったので、孔雀明王像などの物語に登場する美術品を実際に見ながら読めてより理解が深まりました。この孔雀明王図はなんとなく見覚えがあると思ったら、東博でみたことあったのかも…。特に自分が勉強になった点は、あまり詳しくなかった室町時代以前の画と古筆です。古筆は巻物であるのがすごく珍しいみたいで、当時は誰も見向きもしなかったので、三渓さんは比較的安価で手に入れられたということです。海外への流出や廃棄から救出したともいえるかも…。古筆は一度たまたま出光美術館で展示を見たのですが(仙厓さんなどが出ていた時)、正直さっぱりわからんという感じでしたが、ここに掲載されている古今和歌集(高野切)はそんな私が見ても引き込まれる美しさ…。あと、古い絵画もそうかもしれませんが、用紙も鑑賞ポイントなんだなぁと。

茶道具については、茶箱が印象的で茶巾台としてお経の彫られている瓦?を使っていたり、点前の後、唐招提寺千手観音の小像を箱の上に置いたというエピソードから、すごく仏教に関心があったのかなぁ…と。考えてみたら最初に芸術に触れるきっかけになった外祖父が南画家だったわけですから、文人趣味の延長ってことなんですかね。他に、井戸茶碗の銘になっている君不知が鷹の翼の裏側の文様だったとは知らなくて、とても勉強になりました。

その他、久隅守景が結構好きだなと思っていた夕顔棚納涼図屏風の作者だったこと、下村観山や、小林古径のさくひんを改めて見るきっかけになったりと、まじめに読んでよかったなぁと思います。

ちなみにこの図録の参考文献として、上記の三渓物語も挙げられていました。

 

おまけ:

新井恵美子さんについてちょっと調べてみたのですが、この方のお父さんがマガジンハウスを創設された岩堀喜之助さんという方で、この方は小田原の人だったんですね~!私は大学生のときリラックスという雑誌に心酔していたこともあり、マガジンハウスが日本一の出版社かとまで思っていて、その創業者の方が小田原人だったのはうれしかったです。新井恵美子さんも小さい頃小田原に疎開されていたとのことで、それで野崎幻庵さんに興味を持たれたのかなぁ~と思いました。他にもたくさん興味深い書籍を書かれているので、次は岡倉天心物語に行ってみたいと思ってます!

 

今日は上記の本を読んだのと、おやつにバナナケーキを作り、台風の風が強くなってからは、ヨハンシュトラウスのワルツを聴いて気を紛らわしています。台風とワルツ結構合いますね!!