柳宗悦 茶道論集 熊倉功夫編①

この本は私にとっては楽しむ読書というより、取り組む読書という感じで、普段読んでる本と比べるとかなり難しくて、相当頑張って読了しました。あんまりこういう読書ばっかりしていると、読書自体嫌いになっちゃいそうですが、たまにはそういうのもしないと、娯楽本ばっかりでも飽きちゃうところもあり…。

この本を読んで得るものはすごいあったと思うのですが、一行読んでは考えないといけないような内容で、すごい苦労しました。とにかく柳さんの辛辣な茶道批判に、一応家元系のお茶を勉強している身としては、内容が的外れでないのでなおさらひょえ~となり、次から次に繰り出される太刀をせっせと受けるような感じでしたが、封建的なものにすごい嫌悪感を感じるのは、時代背景もあるのかなぁ~と思っていたら、あとがきで熊倉先生もそういうことに触れていたので、ちょっと救われました。でも、柳さんの批判は否定できない内容で(というより、おおむね、うすうす気づいていたけど、やっぱりそうですよね~と共感できる内容)、たまにはこういう本を読んでみてよかったと思いました。

 

とりあえず、本文を見直さずにいま、頭の中に残っていることとしては…

・茶道に限らず、道とつくものは全て自分の内面に降りていく方法論なのかなぁということ。技術の習得はあくまで方便であって…。これは柳さんの書いていたことではなく、私見ですが、読んでて何となくそんな気がした。

・茶人は眼が大事ということ。とにかく、箱書きや銘などにとらわれず、物そのものを見るということ。これは、あたりまえなんだけど、忘れがちで、すごく大事なことだと思う。

・禅茶録の「ただ茶器を扱う三昧に入りて、本性を観ずる修行なり」という文は芳賀幸四郎のわび茶の研究を引いていた、なんかの論文集みたいので見つけて、気になっていたことだったので、言及されていてもうちょっと考えてみるきっかけになった。

・渋い、という割と一般的な言葉で美のすべてが表せる

・禅と茶の関わりと違いが前よりちょっとわかった気がした。

 

今日は読むだけで疲れたので、明日、本文を見直してメモしておきたいことをリストアップしよっと。

 

夜のプレイリストで中川翔子さんがシャンソンのアルバムを紹介していてよかったです。日本語で聴くのもいいもんですね。